ね、兄さん。
もう忘れてください。
私のことなど忘れて、幸せになって下さい。
私知ってます。
普段は笑っておられるのに、夜一人になると空を眺めて苦しそうに顔を歪めていらっしゃること。
ご友人の方とはしゃいでおられても、ふと寂しそうな顔をしていらっしゃること。
たまに見る夢の中で、ひたすら私の名を呼んで「ごめんな、すまない」と謝り続けていること。
もういいのです。
私のことなど忘れてください。
兄さんのせいではないではないですか。
私があの日死んだことなど、もう忘れてください。
私があなたの隣にいたことなど、無かったことにしてくださって構わないのです。
それで兄さんが笑ってくださるのなら、私はそれだけでいいのです。
ね、三郎兄さん。
お願いだから笑ってください。
仮面を剥いで、あなたのお顔で笑ってください。
もうどれほど、本当のあなたの笑顔を拝見していないでしょうか。
あの日、私は死にました。
三郎兄さんの後を追って、忍術学園に一年遅れて入学した私は三郎兄さんのように成績良しではありませんでしたが、それでも四年生まで進級いたしました。
あれは、校外実習の日でした。
私たちくノたまは裏々山で二班に分かれて競い合う授業をしていたのです。
その時ちょうど忍たまの五年生も裏々々山で似たような実習中でしたね。
私たちの実習は午前中からあり、昼には終えて学園へ帰る途中でした。
ある五年生の忍たまが盗賊団を見つけ、それを五年生の忍たまたちで片付けることになったのだそうです。
その時、偶然にも私たちくノたまが実習をしている裏々山まで逃げてきた盗賊団は、これまた偶然にも私たちに出くわしたのです。
くノたまとはいえ四年生。
これでもそこら辺の女性よりはるかに強いと自負しています。
それでも敵の数に圧倒されました。
何と言っても私たちくノたま四年生はたったの四人しかいないのですから。
一人は肩を、一人は横腹を、一人は足を怪我しました。
幸いそれほど深い怪我ではありませんでした。
けれど、先生も数が多すぎる盗賊団に手一杯で、私たちのことまで守ることなどできません。
自分の身は自分で守らねばならぬのです。
私はと言えば、胸を貫かれておりました。
右胸だったことが幸いして、即死は免れましたが、きっと肺が傷ついたのでしょう。
呼吸がしづらくなって、意識が遠くなり出して、それでも私は倒れるわけにはいきません。
何と言っても、私はくノたまの四年生なのだから。
この命尽きる瞬間まで、倒れることはしてはいけないのです。
諦めることはしてはいけないのです。
他の子たちも満足に動けず、それでも応戦しておりました。
先生も少しずつではありますが、敵を倒していきます。
そこでやっと五年生の忍たまたちが追い付いてきました。
私は兄さんの顔を見つけて、ほっと安堵いたしました。
兄さんが、三郎兄さんがいるのならもう大丈夫。
ああ、だめ。
一度抜けた力は、もう元には戻りません。
がくんと足から力が抜けて、兄さんの私を呼ぶ声が聞こえた気がしました。
そこで私の記憶はいったん途切れることとなるのです。
続
しょっぱなから死ネタ。
そして性懲りもなく、また三郎。
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